はじめましての方ははじめまして。ぽんにゃと申します。
この度は、このようなインターネットの海の辺境までお越し頂きありがとうございます。
今回新しくブログを始めるにあたって、この場を借りて自分のことを少しお話しさせて頂きたいと思います。
続けられるものはなく、苦手ばかりだった
私は自他共に認める「終わらせられない」人間です。服は脱ぎっぱなしだし、仕事の詰めも甘いし、何かに興味を持ってチャレンジしては、途中で他のことに目移りする。家事だって、料理は嫌いではないけれど、洗い物は苦手だし、洗濯物を干すのも苦手、畳むのはもっと苦手。朝令暮改、良く言えば適応性とフレキシビリティーの塊。
そんな私は、今までブログ的なものも何度かやってきました。古のmixiに始まり、はてなブログ、note、所属しているオンラインコミュニティのブログメディア…。SNS・投稿系サイトも、TwitterはもちろんFacebook、YouTube、Stand.fm などなど、色々と手を出してきました。
しかし全てにおいて、やり始めや気が向いた時にかなりの熱量で進めては、ある時ぱったりと触らなくなるの繰り返し。
特に実名登録系のSNSには苦手意識があります。
誰しも、家庭や職場、学校や趣味・友人関係など色々なコミュニティに所属すると思うのですが、自分を介してコミュニティ同士がゆるく繋がっていくと、あるコミュニティでの「当たり前」と、他のコミュニティでの「当たり前」が違う事がだんだんと気になってきます。
その場その場では違和感なく受け入れられるものが、同じテーブルの上に載ってしまった時に矛盾が生じてしまうのです。
さらに、自分がそこまで繋がりたいと思っていない人との繋がりも増えていき、それにつれて、普段の自分が口にしないような、少し深いところや柔らかいところに関する投稿は、「私」とは繋げずにそれを見てほしい気持ちが出てきます。誰に対しても、どのコミュニティの人に見られても良いとはなかなか思えず。
投稿しても閲覧するだけでも、いちいち誰かの動きに勝手にヤキモキして、勝手に周りからどう見られるかを想像して、勝手に疲れて。
そうしてだんだんと足が遠のいてしまうのです。
それは自分が楽だから
こうして改めて書き出すと、SNSという仕組みと、ネット上の見えない仮想敵、他人からの承認欲求や、望まない人間関係にかなり振り回されているなぁと自分でも感じます。
それに、特に意識しているつもりは無いのですが、自分の中でそれぞれのコミュニティに対して見せる/見せたいペルソナがかなり違っているのだな、と思います。
他人にどう思われるか、どう見られるかを気にしながら生きているのは、さぞ息苦しかろうと自分で思いつつ、なかなかそこから抜け出せないのも現状です。
でもだからこそ、人格を使い分けるようにアカウントが分けられる匿名ネットの世界は、居心地がよく感じます。
もちろん、誰かを貶めたり公序良俗に反することはしない前提で。
そこに自分の居場所、自分だけの世界を作る憧れ。
自分が日々考えていること、良いと思ったモノ、学びや気づき。
そんなものがたくさん詰まった場所、そういうものを創り上げられる人にずっと憧れているのです。
何度も手を出し、何度も飽きて、それでも何度も手を伸ばす。
そこには、やらない事で残される「もしかして」の可能性。
やらない空白をつくる事で「やったらできるかもしれない」の余地を残す。そうやって「できない」という可能性を見ないようにする。諦めには至らない、ずるい選択肢。
全力でやってないから、続けなかったから、時間が取れなかったから。
たくさんの言い訳にまみれて、それでも憧れだけは残していて。
自分が「何者にもなれない」「何も成し遂げられない」という事実から、目を背け続ける。
それが自分にとってすごく優しく、楽で、居心地のいい選択肢なのだな、と気付きました。
でも、それは本当に自分が望んでいるものなのだろうか?
「やるつもり」をやらないままで
話は少し逸れますが、先日、知人が事故で亡くなりました。
明日も明後日も生きるつもりだったであろう、たくさんの二度と果たされない約束を現世に残し、旅立っていった彼。
そんなに親しい間柄ではなかったけれど、改めて「人は死ぬ。それも、その時期は誰にも選べない」という当たり前のことを私に思い出させ、生きることを見つめ直すきっかけになりました。
「やるつもり」だったものは、生きているうちにやらなかったら、文字通り一生やらないまま終わってしまう。
何度かブログやSNSアカウントを立ち上げ、立ち上げては続かず、自分はきっと「何かを続ける」才能がないんだろうなとずっとずっと思ってきました。
今回も、もしかしたら新しい「やりかけ」の一つになってしまうかもしれません。
それでも、ずっと誰かの背中を見て羨むだけの時間を積み重ねていくよりはいい。「やるつもり」のままで人生が終わってしまったら後悔するかもしれない。それなら、自分の中で諦めがつくくらいに一度向き合ってみるのもいいのかなと思い、ブログの立ち上げをやってみました。
あわよくば、今までの私が拾っては置き去りにしてきたたくさんのカケラが、ここで何かの絵を描くことができたら最高です。
おわりに
タイトルにもありますが、人生は自分が走り出さないと何も動かないと思っています。運良く流されてうまくいくこともあるけれど、それはあくまで普段から準備ができている人に対してだけ、有効なのではないでしょうか。
このたび、いつもとはちょっと違った雰囲気ではじまったこのチャレンジが、私のこれからの人生をどう変えてくれるのか。もし興味がある方は、ぜひ一緒に見守ってください。